大河ドラマ「KING OF ZIPANG」~桶狭間の戦い

桶狭間と言えば油断した今川義元が織田軍に奇襲される、その部分の描写が多いが、とある記憶がよみがえる。織田の騎馬武者が敵の先鋒をうまくおびき出し、今川義元との距離を徐々に縮め、本陣突入に成功するというスリリングなシーン。どのドラマだったか、記憶を呼び戻し「KING OF ZIPANG」だったとようやく思い出す。首を討ち取ったというだけではなく、奇跡的勝利を獲得するまでの展開があり、この「桶狭間の戦い」がずっと記憶に残っていた。

1559年(永禄2年)5月17日、ついに今川の軍勢が尾張に現れ、沓掛(くつかけ)に本陣を張る。今川義元から見れば、尾張は小さな国であり、勝ち戦を疑っていなかった。今川の軍勢は、本体5千と先鋒を合わせおよそ1万7千。それに対し、織田勢は本体2千を合わせて4千ほど。

尾張攻めの拠点となる、今川の大高城にはすでに食料が補給され、今川本体が桶狭間を通り、大高城に入るのを待っている状況だった。出陣した信長は善照寺砦に入るが、織田勢が準備していた丸根砦、鷲津砦は奪われ、そこを守る者たちも討ち死にしていた。

 善照寺砦を本陣としてまともに戦っても織田勢に勝ち目はない。義元の首のみを狙う。信長はその一点に全てを集中させると決め、勝負に出る。善照寺砦から中島砦へと危険な道(敵に丸見え)を進み、本陣に接近。そこへ“敵の先頭が桶狭間辺りで休んでいる”との知らせが入る。「馬を走らせれば一気(15.6丁ほど)のところだ」と信長がつぶやく。※1丁は約109.09メートル程とのこと

その後、今川義元の輿は、先頭より5,6丁行ったところにあると突き止め、先頭まで15丁として、義元まで20丁。「ここからは一気には届かぬ。今少し近づきたいものじゃ。」と信長。しかし、敵に見られずに近づくのは無理な状況。

そこで織田勢は、騎馬武者で敵をおびき出す方法をとる。まず1番手は騎馬武者のみにて、敵正面を突き、反撃に対し、すぐに引き、敵を誘い出す。敵は追い討ちをしようと後をついてくるが、道の両側には足軽を忍ばせ、敵めがけて一斉に矢を飛ばす。追い討ちどころではなくなった敵はすぐに引き始めるが、すかさず2番手の騎馬武者が追いかける。追いかけながら敵地に入っていく。そして少し戦うとまた引く。次は用意していた鉄砲隊が、味方を逃すと、追い討ちの今川軍に発砲する。3番手、4番手も同じように戦い、攻めては引き、引いては攻めるを巧みに繰り返すのだ。この作戦が功を奏し、見事、敵の“正面”から今川義元のいる本陣へ攻め寄ることに成功する。

森可成、河尻秀隆、林通勝、柴田勝家をはじめ、信長までが最前線で刀を振りかざし、敵と相まみれるシーンが続く。死を覚悟した精鋭たちが、見事義元の首を討ち取る。記憶に残る大一番だった!(第13~14回「桶狭間の戦い(前)、(後)」より)

※他のドラマなどでよく描かれている様に、山側からの奇襲で今川を討つのが当たり前だと思っていたが、この「KING OF ZIPANG」では、正面から攻撃して本陣へ近づく戦法が描かれ、その為、特にこのシーンが印象に残ったのだと思う。この「桶狭間の戦い」では織田勢がどのように攻撃したのか意見が分かれていて、近年ではこの正面説の方が有力になっているとのこと。 

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